こんにちは、timshaw9です。
外国の方に聞かれて1番困る質問は「あなたの宗教は?」だと私は個人的に思っています。
「無宗教です.. 」とは言い辛いし、かといって「仏教/神道です!」と言うのも何か違う。
このように感じたことがある方は結構多いと思うので、今日はその悩みに答えます。
私なりの答え方
もし私が日本人の宗教事情を聞かれたら
日本人の大半は無宗教だけど、完全に神を信じていないわけではなく、私生活の中で神を意識することが少ないだけ。
お願い事をする時は神に対して行なうが、その他は神を対象にしていない場合が多く、日本人にとって「神」はあくまで1つの対象にすぎない。
このように答えます。
2番目が少し難しいですが、この内容が今日の記事のミソになります。
因みに、英語の場合は「I’m an Agnostic」と言えば良い気もします。
※Agnostic : 神の存在を信じはするが、確かに存在するとは思っておらず、宗教を信仰しない者。もし完全に神の存在を信じない者の場合は「Atheist」と呼びます。
又、たまに「日本の宗教は神道だよね?」とも聞かれるのですが、その際は「神道は本来は宗教だけど、実際には宗教と言うより文化みたいなかんじだよ」と私は答えます。
日本人にとって「神」はあくまで1つの対象にすぎない
さて、この言葉が結構謎ですね。
3つの具体例と共に解説していきます。
※イスラム教以外の宗教は詳しく知らないので、具体例は3つともムスリム関係です..
具体例①「食事前の言葉」
日本人は食事前に「いただきます」と言いますね。
実はイスラム教徒もそれに相当する「ビスミッラー」という言葉を食事前に言います。
この2つの言葉はどちらも「食事に対する感謝や尊重の気持ち」を表しているのですが、実は1つ異なる点があります。
それは「言葉の対象」の違い です。
「いただきます」は 作ってくれた人や食材の命などに対しての言葉 です。
対して「ビスミッラー」は 食事を与えてくれた神に対しての言葉 です。
具体例②「調子を尋ねる時」
私達日本人は「おう!元気にしてる?」って聞かれたら「元気だよ」と答えます。
その「元気だよ」には特に深い意味がないですね。
対してこれがムスリムだった場合は、「元気?」と聞かれたら「アルハムドゥリッラー」と答えます。
この「アルハムドゥリッラー」は簡単に言えば「神に感謝」という意味です。つまり「自分の健康を保ってくれている神に感謝」みたいなイメージです。
これもまた「言葉の対象」が異なりますね。
具体例③「人に褒められた時」
例えば日本語で「バク転できるとか凄いな!」って言われたら、素直に「ありがとう」と言いますよね。
この「ありがとう」は褒めてくれた相手に対する言葉です。
続いてこれがもしムスリムだった場合は、「凄いな!」に対して「アルハムドゥリッラー」と返します。
「自分にこの能力を与えてくれた神に感謝」みたいなイメージです。
これもまた「言葉の対象」の違いです。
さて、なんとなく私の言いたいことが分かってきたかと思います。
日本人は場合に応じて対象を変えるのに対して、ムスリムは全てが神だけに集中していますね。つまり
- 日本人の多くは日常生活と神を関係付けていない。
- 又、「お願い事は神に」「食事への感謝の心はそれを作ってくれた人や食材の命に」「感謝は相手に」のように、対象 が沢山ありそれらを場合に応じて使い分けている。神はその対象の1つである。
ということです。
しかし3つの具体例全てに共通して言えるのは「何かに感謝をしている/感謝の気持ちを言葉にしている」ことです。
何を言いたいかというと
宗教を持たない者も持つ者も、その対象が違うだけで根本的な考え方は同じ
ということです。
さて今日はこの辺で終了です。
この記事が少しでも助けになれば幸いです。
では今日も良い1日を。Assalamu’alaikum!
ためになる面白い記事ですね!
参考までに
都会では”神道は文化に近い”かもしれませんが、今でも”神道は宗教に近い”と思っている人も多いと思います。
例えば、米農家では豊作を願って祠(ほこら)を作りお祈りしたり、お宮参りは成長を願うという意味があったり、家を作るときに行う建前…神さまにお祈りをすることがたくさんあります。おそらくお宮参りなどの本来の意味を忘れてしまった人たちが、イベントの一環としてそれを行なっているから、文化になってしまったのでしょう。
私も無宗教で、仏教も神道も文化に近くなっていますが、よく考えてみると神は身近な存在です。
(ちなみに、いただきます は仏教的思想)
そーなんね、かなり勉強になるメントコazms